2010年7月14日水曜日

男女の問題も地上的執着の1つ。

地獄の人は、天上界の光や、天上界のすばらしい宝石など、見たことがないのです。

見ようとしても、まぶしくて見えないでしょう。


地獄の人にとっては、ゴミためのものが宝石に見え、その人は、それで身を飾って

いるつもりでいるのです。


そのような愚かなことを地獄の人はしているのですが、どこかで、そのむなしさ

に気づくまで、それを延々とやり続けることになります。


それから、男女の問題も地上的執着の1つです。


あの世へ行ったら、まず、しばらくの間、そういうものを忘れないと、天上界での

修行になりません。


そのため、天上界の入り口では、男女の修行場を分けることが多いのです。


最初は、男性は男性、女性は女性に分け、それぞれに対して講義をし、

霊界について教え、魂を純粋化します。


この世的な、異性への執着がなくなるまで、少し教育をするのです。


一定の期間が終わったあとは、男女で、一緒に住むことも、お付き合いする

こともできるようになります。


ただ、この世的な部分がなくなるまでは、男女を別にして教育するわけです。


地獄界では、この世的な、男女の結びつきも、ずいぶん行われています。

これも肉体がないため、当然、この世的な欲望を満たすことはできません。


そのように、人を殺そうとしても殺せないし、異性を抱こうとしても抱くことが

できないわけです。

ゴースト(幽霊)なので、お互いに抱き合うこともできないのです。

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2010年4月8日木曜日

地獄霊には、ゴミが宝石に見える

あの世ではものの見方もずいぶん変わります。


たとえば、この世では、宝石、金銀財宝、豪華な衣装など、金目のものへの

執着を持っている人はたくさんいます。


そういう人は、あの世へ還っても、その執着が取れていなければ、当然、

同様のものを求めます。


地獄界であれば、金目のものを持っていそうな人の家へ押し入って、

ダイヤモンドの指輪やネックレス、金などを、ごっそり持ち帰ったり

します。

そして、「やった、やった、宝石がたくさん手に入った」 と言って

指輪をはめてみたり、ネックレスをかけてみたり、金ピカの服を着てみたりして、

「ああ、きれいだ」 と思って見ているのです。


ところが、本人が 「宝石だ」 と思っているだけで、その姿は、天上界の人には、

何か炭のようなものを指につけたり、ゴミのようなものを体にたくさんつけて

喜んでいるように見えます。


「あの人は、ゴミをたくさんつけて、何をしているのだろう」 と思うのです。

天上界の人から見れば、ゴミなのですが、地獄の世界の人は、

それを 「宝だ」 と思っているわけです。


こういう不思議なことがあります。


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2010年3月4日木曜日

あの世が実体で、この世は仮の世界

あの世は、夢の中の世界のような所ではありますが、そちらが実体なのです。

「あの世のほうが実際の世界であり、この世のほうは、仮の世界、

夢をみているような世界なのだ」 という認識を持つことが非常に大事です。


このことがわかれば、霊界の人間になれるのです。


「あの世は、夢の世界のようではあるが、夢ではなく、ずっと永遠に続く

世界、あり続ける世界であり、この世は、実体があるように見えても、

崩れていく世界、永遠に続かない世界なのだ」 と悟ることが大事です。


仏教で説かれる 「執着を断つ」 という教えは大切な教えです。


みなさんには、この世が実際にあるように見えるでしょう。

すべてが実際にあり、この世しか存在しないように見えるでしょう。


しかし、この考え方を正反対のものに変えなければいけないのです。


この世のものは、あり続けることができません。

それに対して、あの世のものは、あり続けることができます。


そして、あの世のものは変幻自在です。

あの世は、「変幻自在なものが、あり続ける」 という、まことに

不思議な世界なのです。

  
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2010年2月25日木曜日

壊されたものが何度でも再現される

霊界とは、似た者同士が集まっている世界です。


食べ物を食べたい人もいますが、食べても全然、満足は得られません。

また、人を殺しても、満足は得られません。


殺しても、殺しても相手は生き返ってきますし、自分も、殺されても

生き返ります。

首を斬っても、しばらくすると首が生えてくるのです。

これではたまりません。


「あの世には、この世の建物も現れる」 と、以前書きました。

人殺しをするような人たちは、そういう家なども破壊して歩きます。


しかし、その人たちが通り過ぎると、壊された家が元の形に再現されます。

壊しても、壊しても、また元に戻るのです。


壊した人の破壊想念があるときは、なくなりますが、その破壊想念が通りすぎると

スーッと元に戻ります。


霊界では、壊されたものが何度でも元の形に再現されます。


その意味で、終わりがない永遠の世界、その思いが続いている限り存在

し続ける世界なのです。


霊界には、この世とあの世を転生しているものと、自然霊のように、ずっと

霊界だけにいて、この世には出ないものがいますが、そのどちらでもない

霊人によって創造されたものもたくさんあります。


大勢の人が 「必要である」 と認めたり、「存在する」 と思ったりした

ものは、霊界に現れてきます。


それは大勢の人の一定の思いを象徴しているのです。


伝説に出てくる竜は、この世にはもういませんが、あの世にはいます。


天上界には、神社仏閣を守るようなかたちで、竜神の姿をした竜がいます。


ただ、それがほんとうに竜であるかどうかは別であり、前回の 「犬に変えられた人」

ではありませんが、「神社仏閣の守護神が、竜に姿を変え、威嚇して護っている」

という場合があります。


こういう天上界の竜もいれば、悪いことをする、地獄界の毒流も当然います。


信仰が集まる所には、そういう変化身もたくさん現れてくるのです。


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2010年2月23日火曜日

地獄界では妖怪もつくられる

「動物もつくれる」 ということから想像がつくとおり、あの世の地獄界

においては、醜い妖怪のたぐいもつくれます。


「地上に生まれた人間が地獄に来て妖怪変化になる」 というように、

それが霊的な実体を持っている場合もありますが、そうでないものもあります。


この世の悪想念や、あの世の地獄界の悪想念が集まって、一定の妖怪が

実体し、巨大な化け物、モンスターのようになって現れ、それが悪さをする

ことがあるのです。


地獄の人殺しの世界などでも、そのような巨大な化け物が出てきます。

人を食べたりする化け物など、いろいろな妖怪も出てくるのです。


妖怪のなかには、生命を持ったものもありますが、あの世でつくられたもの

もかなりあって、つくられたものの場合には、その邪念、悪想念を取り除く

と、サーッと姿が変わってきます。


そのなかには何かが実体として入っていることが多いのです。

地獄には邪悪な動物もいますが、地獄霊たちがそれを手に入れようとしても

手に入らないこともあり、その場合、妖怪を創造することもあります。


 ◇手下を念力で変えてしまう親分



念の非常に強い人であれば、地獄の人間を動物に変えてしまうこともあります。

手下をたくさん持っている親分などであれば、そういうことができるのです。


たとえば、手下を集めて、よその村を攻め、略奪、強奪を行い、何十人もの

人たちを奴隷として引き連れてきたりすると、その人たちを小屋のなかに入れて

見張らなければいけません。


人を見張るときには、相手を脅すのが最も効果的なので、凶暴な犬がいると

よいのですが、実際の犬は、それほど悪いことはしないので、あまり地獄に

こないのです。


しかたがないので、親分は、手下の顔つきを見て、動物に似ている者を探し、

「こいつと、こいつは、いけそうだ」 と思うと、グーッと念力をかけて、

手下を犬にしてしまうわけです。


当然、相手は嫌がりますが、親分は、「おまえは見張り犬だ。犬のような格好

をしていないと、向こうは怖くないだろう。犬の姿でガオーッとほえていたら

向こうは逃げ出せないないだろう」 と言います。


それで、手下のほうは、「嫌だな」 と思いながら、しかたなく犬の姿で見張りを

するのです。


そのように、あの世は思いの世界なので、強い念力をかけられると変形して

しまいます。


逃げようとする人をガブッと食べてしまうような、牙がたくさん出た凶暴な犬を

念力でつくったりするわけです。


あの世は、こういうことが起きる世界です。


「思いは実現する。そして、思いと思いがぶつかったときには、強いものが勝ち、

弱いものは降伏して、相手の思うようにされてしまう」 というのが地獄の世界

なのです。



また、地獄では、戦争をするとき、馬がたりません。

馬というの動物は、それほど悪いことはしないので、地獄に行く馬は少なく、

地獄では馬があまり手に入らないのです。


そのため、人間を馬に変えて、戦ごっこ(いくさごっこ)をしている人たちも

たくさんいます。


それから、地獄にあるさまざまなものを変化させて、別のものをつくる場合も

あります。


強い念波を受けると、無生物や樹木の精霊などでも、別のものに変えられてしまう

ことがあるのです。


まことに不思議な世界ですが、「思いしかないのだ」 と考えれば分かるでしょう。

強く思ったものは実体化して現れてきます。

強く願えば現れてくるのです。


  

2010年2月16日火曜日

あの世の学校での 「創造訓練」

人間界に比較的近い世界より、もう少し上の世界へ上がると、その世界

の住人たちは、「思えば、いろいろなものが現れる」 ということを

知っていて、念でものを出しはじめます。


そこでは創造訓練をよく行っています。

たとえば、「チューリップの花を1本、念じて目の前に出してみせる」

というようなことを勉強会で行うのです。


あの世の学校でも、「霊界は念の世界であり、思ったものが現れる」 という

ことを実験するために、先生が生徒を集め、「いまから私が模範を示すから

見ていなさい」 と言って、赤チューリップを一瞬のうちに出したりします。


そして、「さあ、みんなも頑張ってやってみよう」 と言われて、生徒たちが

チューリップを出してみるのですが、グニャと曲がったもの、しおれたもの、

色の違うものなど、いろいろなものが出てきます。


この念力訓練は、けっこう難しく、出そうなものを見事にありありと

描かないと出てこないのです。


最初は小さなものから訓練していきます。

訓練が進むと、次に 「犬を1匹出す」 などということをします。


先生が念力を集中して、しばらくすると、犬が現れてきます。

生きている犬とそっくりで、尻尾を振りながらペロペロとなめてきたりして、

本物のペットのように動きはじめます。


まるで魔法のようで、生徒たちは、「すごいな。先生は、さすがに大したものだな」

と感心します。


生徒が個人でやると、なかなか先生のようにはうまくいかず、何だか分けの

わからない、出来損ないの動物がたくさん出てきます。


そこで、「10人ぐらいで一緒にやれば、うまくいくのではないか」 と考え、

力を合わせて、「こういう生き物を出そう」 と頑張って念じていると、だんだん

ハトを出したり、犬を出したり、猫を出したりすることができるようになってきます。


そのようにして、大勢の人の思念を集めてつくったものは、あの世でしばらくの

あいだは実在しています。


もともとは存在しないものですが、念が集まると、あの世にある、いろいろな

霊質(霊的な物質)、幽体のようなものが再構成されて、つくられるのです。


念によってつくられた、霊体の犬や猫は、しばらくは、ほんとうに生きています。

誰もが忘れ去ると消えてしまうのですが、それまでは生きていて、生き物と

してペットにもできます。


あの世の生き物のなかには、この世の生き物が、死んであの世にきたものも

いますが、あの世でつくられたものもたくさんいるのです。


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2010年2月7日日曜日

霊界の肉屋は仕入れがいらない

人間界に比較的近い世界にいる人たちには、「地上の生活に近い生活をしたい」 

という気持ちが残っているので、まだ食べ物を食べる習慣のある人もいます。


ただ、それは、食べたような気がするだけで、食べても、食べても実体が

ないのです。


「食べたような気がするけれども、体の中に入ったら、雪のように解けてしまい

胃に届かない」 というような感じでしょうか。


しかし、食べる気分だけでも味わいたいわけです。


あの世には店もあります。

この世で店を営んでいた人は、あの世でも 「地上にいたときと同じ仕事をしたい」

と思うため、低い霊界には、肉屋も、魚屋も八百屋もあります。


この世での仕事と同じことをしているのです。


ただ、この世と違う点は、たとえば、「肉が食べたい」 と思って肉屋に行って

肉を買い、家に持ち帰って食べても、気がつくと、肉屋の店頭に、同じ肉が

また並んでいることです。


肉屋は、肉がまた戻ってくるので、仕入れがいらないのです。

また、肉屋は肉を売ってお金をもらうのですが、お金といっても、実体があって

通用するものではなく、お金をもらったような気持ちになるだけなのです。


肉を買った人も、代金を払って、ブロイラーなどの肉を持ち帰り、おいしく食べた

つもりなのですが、「なんだか、お腹に届かないな」 と思ったら、その肉が

スーッと元の所へもどり、店先にぶら下がっているわけです。


八百屋も同じです。

持ち帰って食べた野菜が、全部、元に戻っていきます。


このようなことを何度も繰り返しています。


これは、「まだ、そういうレベルでしか分からない人が、たくさんいる」

ということです。


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2010年2月5日金曜日

ワールドトレードセンター(世界貿易センタービル)のその後

2001年には、ニューヨークのワールドトレードセンター(世界貿易センタービル)

が2棟とも完全に倒壊しました。


あのように丸ごと建物が消えた場合には、その建物が、たいてい霊界に

現れます。


ただ、あのビルを壊した目的や、壊され方、崩壊後の何千人もの悲惨な状況を

考えると、天上界に現れるとは思えません。


おそらくは地獄のあたりに現れているはずです。

そこでは、まだ阿鼻叫喚地獄(あびきょうかんじごく)が展開されているでしょう。


亡くなった数千人の人々が救われて成仏すれば、このワールドトレードセンタービル

は、天上界に移動していくだろうと思いますが、いまは、まだ修羅場であり、

亡くなった人々は、火が燃えている所を逃げ回ったり、窓から飛び降りたり

するような場面を、あの世で再現しているはずです。


その人たちの救済が終わるまでは、そういうことが、まだしばらく

続くでしょう。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たとえば、図書館の場合も同じようなことがあります。

図書館が取り壊されると、やはり、霊界に幽体としての図書館が現れるのです。


蔵書は天国的なものが中心で、運営者の心もよい図書館は、天国に現れてきて

天国の人たちも、そこで勉強することができます。


そこで研究する人のために図書館が開かれているのです。


また、この世で新しく発刊された本は、ほとんど、霊界にもきます。

そして、その本に合った図書館へ行きます。


地獄へ行く本もあります。

地獄の図書館には、嫌らしい本、殺人マニュアル、自殺マニュアル、その他

天国では考えられないような地獄的なものがたくさんあります。


出版は自由ですが、地獄的なもの、悪の手引き書のようなものが地獄界の

図書館に集まっているのです。


殺人者が集まっている地獄の話をしましたが、この連中のなかには、

頭のよい人もいます。


この世で頭のよかった人は、天国に行く場合もあれば、地獄に行く場合も

あるのです。


頭のよい知能犯的な人は、あの世でも地獄の図書館で勉強しています。

知性派の悪人は、そういう所で勉強して、さらに知力をつけ、もっと残忍なことを

するようになります。


この世にも頭がよく、知能が高くても、残忍なことをする人はたくさんいますが、

犯罪グループをつくっている人たちは、あの世でも地獄の図書館で勉強して

いるのです。


あの世には学校もあります。

この世の学校は取り壊されることがよくありますが、古い木造の建物が地上から

消えると、あの世に幽体としての学校が現れてきたりします。


たいていの学校は、何十年か使われていて、大勢の人が、その学校を覚えて

いるからです。

その校舎が、地獄界や精霊界の学校の校舎として、あの世で使われています。


大勢の人に見覚えのある、なつかしい感じの校舎が、そういうかたちで使われて

いるのです。


このように、この世とあの世は密接に連動しています。

そして、この世で発明されたものは、あの世の人が認めると、あの世にも

現れてきます。


たとえば、電車に乗って通勤や通学をしているので、あの世でも、電車がないと

不便に思えるのです。


そうすると、あの世で、「電車が必要だ」 と思っている人のところには、

電車が現れてきます。


高次元の世界には電車はありませんが、この世に近いレベルで生活している

人の所には現れてくるのです。


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2010年2月1日月曜日

この世で壊された建物は、あの世に現れる

あの世には、この世の建物なども現れます。

この世の建物が、何十年かたって壊されると、その建物は、あの世にそのまま

現れてくることがあります。


たとえば、美術館には、

その美術館をつくった人は、どのような気持ちでつくったのか。

その美術館を運営している人は、どのような気持ちで運営しているのか。

ということがあります。


そして、その美術館に展示されている絵などの芸術作品にも、天国的な

もにから、地獄的なものまで、いろいろあります。


こういうもののトータルで、その美術館の霊的な波動というものが

出来上がっているのです。


とても天国的な美術館の場合は、古くなって取り壊され、新しい建物に

建て直されると、古い建物のほうが、天国の中で波動の合った次元に、

そっくり現れます。


そして、その美術館にふさわしい人たちが、そこに出入りするようになります。

元の美術館に展示されていた絵も、天国的な絵の場合には、そのまま天国の

美術館に現れてきます。


その絵の幽体部分がパッと現れてくるのです。


ところが、元の美術館の展示物のなかに、たまたま、地獄的なものが入っていた

場合、その地獄的なものだけがスッと消えて、美術館からなくなっています。


一方、美術館を運営していた人の心が悪く、作品も波動の悪いものをよく集めて

いた美術館の場合も、この世で取り壊されて、その土地が更地(さらち)になり

ほかの建物に変わったりすると、今度は、その美術館が地獄界に現れる

こともあります。


その美術館へ行くと、この世の絵がデフォルメ(変形)されて、

より醜悪な感じになった、怖い絵、怪奇絵が、たくさん展示されています。


しかし、生前は、地獄的な絵を趣味で見ていた人にとっては、それほど

怪奇絵には見えず、自分の趣味に合うように感じます。


この世では、名画といわれるものでも、霊的には、いろいろ違いがあるので

その絵があの世へ行ったときには、それぞれに合った場所に現れてくるのです。


ある霊的敏感な方が、フランスのゴッホの作品ばかりが展示している美術館に

いったとき、さすがに頭がくらくらしたそうです。


すべてゴッホの作品となると、何か異常な世界へ入ったような感じがして、

頭がくらくらしたそうです。

ゴッホの作品には、やや、そういう異常性があったそうです。


ムンクの絵も、好きな人はおおいでしょうが、「叫び」 という作品に

描かれている怖い感じは、どう見ても地獄界の波動に近いでしょう。


この世的には、名画と言われていても、あの世では、行き場に、いろいろと

違いがあるわけです。

それには、もちろん、その絵を描く動機や、それを見る人の感応度も関係します。


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2010年1月31日日曜日

近代兵器は、古代人の霊には効果がない

「死んであの世にいくのは、人間の霊体だけだ」 と思っているかもしれませんが

じつはそうではありません。


物もあの世に行きます。


一定の形や、機能を持って存在したものは、この世で消滅すると、

霊界に現れるのです。


イラク軍の戦車隊が地上から消滅すると同時に、イラクの兵隊がいる

阿修羅界に、その戦車もドーンと現れてきます。


その世界では、まだ戦車隊も動いています。

しかし、アメリカの戦車は1台もないため、敵がいないわけです。


地獄の阿修羅界には、古代の兵隊もいるので、イラクが兵隊を捜していると、

そういう古代の兵隊と遭遇することがあります。


そのときに、興味深いことが起こります。


イラク兵たちは戦車で砲弾を撃ちます。

心の世界なので、そういうものが 「ある」 と思えばあるわけです。


その武器で、弓矢の世界の古代人たちと戦うと、どうなるでしょうか。


イラク軍の戦車の砲弾がバーンと飛んで、古代人の所に着弾します。

ところが、突然、爆発するはずなのに、爆発が起きないのです。

「おかしいな」 と思って、また撃ちます。

しかし、、何度、弾を撃っても、やはり破裂しないのです。


なぜかというと、古代人たちは、戦車や砲弾というものを知らないので、イラク兵が

何をしているのかが認識できないからです。


「何か箱のようなものが動いてきて、丸いものが飛んでくるのだけれども、何が

飛んでいるのだろう」 と思い、首をひねっています。


それが何なのかわからないので、怖くも何ともないのです。

霊界では、認識できない武器で攻撃されても被害はでません。


霊界で古代人と戦うには、石でも投げたほうがよいのです。

石を投げたり、弓矢や槍を使ったりすれば、彼らもひと目でわかります。


しかし、戦車で砲弾を撃っても、彼らは何も感じないし、何をされたのかも

わからないのです。


彼らは、飛行機が飛んできても、「大きな鳥が飛んでいる」 としか思わないし、

爆弾を落とされても、「鳥のフンが落ちてきた」 というぐらいにしか

見えません。


そのため、爆弾が落ちても爆発しないのです。

「大きなフンが落ちている」 と思うだけで、被害は何もないわけです。


霊界では、近代兵器は古代人にはまったく通用しないので、肉弾戦を

するしかありません。


手で殴るか、刃物を使うか、それしか方法がないのです。

それなら古代人もわかります。


昔も、そういう戦いをしているし、傷ついたら血が出て痛いことは知っています。

しかし、経験がない兵器については理解不能なのです。


第一次世界大戦や、第2次世界大戦で死んだドイツ兵などのいる地獄あたりに

運よく、出現できれば、相手も戦車を知っているので、撃ち合いになります。


こちらが現代のソ連製戦車で砲弾を撃てば、向こうも、旧式ドイツ製戦車か何かで

撃ち返してきたりします。


また、相手は怖くておろおろしたり、砲弾がバーンと爆発すると、叫んだり

爆風で飛んだりします。


このように、理解できる者同士の場合には、被害が発生しますが、

理解できない者には被害が発生しません。


この世の兵器は、あの世の地獄界には、ほとんど勢ぞろいしていますが、

その兵器を知らない者に対しては、何の効果もないのです。


現代人は爆弾を知っているので、現代人のいる所に落とせば、人々は

倒れますが、古代人の場合は、まったく何も感じません。

爆弾をしらないのですから、どうしようもないのです。


地獄界には、戦車も現れるし、武器もいろいろと現れてきます。

ただ、マシンガンを知っている人にとっては、それは怖いものですが、

知らない人にとっては、全然怖くないのです。


こういう世界は、あの世の世界です。


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2010年1月28日木曜日

あの世でも戦いつづけているイラク兵

戦争などで大勢の人が死ぬと、彼らには心の準備がないので、しばらくは

そこの、阿鼻叫喚地獄(あびきょうかんじごく)、あるいは、阿修羅界

(あしゅらかい)のような、戦闘の地獄が出現することがあります。


たとえば、十数年前には、アメリカ軍を中心にした多国籍軍と、

イラク軍との戦争(湾岸戦争)がありました。


イラクがクウェートを占領したため、「けしからん」 ということで、

多国籍軍がイラク軍を攻撃して戦ったのです。


この戦争で、イラク軍側は、十数万人の兵士が死んだのではないかとも

言われています。


一定の期間内に、それだけ大量の人が死んだりすると、そこに地獄が

出現します。


その地獄は、阿修羅地獄か、阿鼻叫喚地獄のよな深い所か、どちらかでしょうが、

そういう地獄が現れてきます。


そして、一瞬のうちに死んでしまったイラクの兵隊たちは、当然ながらまだ

地上で戦いを続けているつもりでいます。


アッラーの教えによれば、「アッラーのために戦って死んだ場合には、真っすぐ

天国の最高世界にかえる。そして、多くの美女がまわりにたわむれ、お酒を

すすめてくれるし、おいしいものもたくさんある」 ということになるはず

ですが、彼らは、まわりには美女もいないし、ごちそうもお酒も出てこない

ので「自分は、まだ死んでいない」 と思っています。


自分が死んだことをわかっておらず、暗い霧の中で、まだ戦闘中なのです。


一方、アメリカ側の死者は、合計しても150人前後です。

その程度では、地獄はできません。


個別対応で、それぞれの世界へ引っ張っていかれるので、アメリカの

ほうには地獄ができないのです。


そうすると、死んだイラク兵たちは、あの世で敵を探しても、敵が見当たらない

わけです。

仲間はたくさんいるのですが、敵がいないのです。


砂漠における地上の戦闘では、イラクの方は旧式のソ連製戦車で戦い、

アメリカの方は最新鋭の戦車で戦いましいた。


両者は同じくらいの戦力だと思われていましたが、戦ってみると、

旧式のソ連製戦車は非常に弱く、アメリカ側が圧勝しました。


イラク側は戦車隊がほぼ全滅したのに対し、アメリカ側は

まったく損害がありませんでした。


それ以前には、そのような圧勝は通常なかったのですが、技術格差に

よってそういうことが起こったのです。


その戦闘でアメリカ軍は、劣化ウラン弾という非常に重い砲弾を使用しました。

これを撃つと、砲弾はイラクの戦車の装甲を突き抜けて、一発で

戦車を破壊します。


これに対し、イラクの戦車の砲弾は、アメリカの戦車に当たっても、跳ね返されて

しまうか、外部に損傷を与えるだけで、内部まで被害を及ぼすことができなかった

のです。


また、ソ連製の古い戦車は、敵の戦車が移動すると、それに合わせて照準も

手動で動かし、敵がどこへ行ったかを一生懸命に捜さなければいけないの

ですが、アメリカの新型戦車は、敵が移動すると、砲塔が自動的に敵を

追跡するようになっています。


これで戦ったところ、イラク軍の戦車隊は完敗し、ほぼ全滅してしまった

のです。


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2010年1月26日火曜日

地獄界での強烈な体験

 ◇地獄の深い所におちた人はどうなるか


あの世の学校に入る人は、ある程度、人間としての考え方や生き方を

認められるレベルの人です。


しかし、地獄の深い所までストーンとおちていく人の場合は、もはや、

「学校で教育を受ける」 という段階ではありません。


そういう人は、自分自身でわかるまで、まず、地獄で、いろいろな経験

を積むことになります。


彼らを学校に集めて教育することは無理なので、個人で嫌な思いをしたり

して、「自分が間違っていた」 ということを感じるところまで、

徹底的に経験を積むことになるのです。


これは、人によって、いろいろと道がわかれており、その人が心の傾向性

として最も強く思っていたことが現象化した所に行きます。


そういう所での経験なので、それは非常に強烈な経験になります。


 ◇本人が 「もう足を洗いたい」 と思うまで救えない


たとえば、人を殺して、改心もせず、死んで地獄へ行った人がいるとします。

その人が行く世界は、どういう所かというと、人殺しがたくさん集まって

いる所です。


そういう地獄には、自分よりも強い人もいるので、今度は、殺される方の

経験もだいぶしなければいけなくなります。


自分より弱い相手なら殺せますが、自分より強い相手には殺されて

しまうのです。


そのようにして、「人殺しというものは、いかに嫌なもんであるか」 という

ことを本人がわかるまで、毎日、徹底的に、殺し合いの経験をするわけです。


殺し合いといっても、実際に肉体がないため、本当の意味で殺すことは

できません。

しかし、肉体はなくても、その苦痛を味わいます。

苦痛を感じる霊的神経の部分だけはあるのです。


生前、殺したり、殺されたり、けがをさせたり、させられたり、していた

人は、「相手に苦痛を与える」 という経験をしてきています。


生前に経験していないものは、その痛みの感覚がわからないのですが、

生前に人を傷つけたり殺したりした人は、その痛みを感じやすいのです。


それで、人を殺し、相手が血を流しているので、「ああ、死んだな」 と思うの

ですが、しばらくすると、相手はムクッと起き上がります。


あるいは、自分が殺された場合も、「殺されて死んだ」 と思っても、

やがてムクッと起き上がります。


そして、また殺し合いが続きます。

このように、終わりのない戦いが続くのです。


やくざ同士の抗争などを考えればよいでしょうが、徹底的に殺し合いをしている

うちに、だんだんと嫌になってきて、お互いに、「もう、やめたほうがよいの

ではないか」 と思いはじめるときがあります。


相手を殺して、「やった」 と思っても、相手が生き返り、今度は自分が

やられるのです。

こんなことばかりを繰り返しているお、たいていは嫌気がさすでしょう。


「そういえば、生前も、こんな生活だったな」 と思い、自分が恐怖心と憎しみ

と破壊の心で生きていたことに気づいて、そういう生活が、だんだん嫌になって

くるわけです。


その心境が、「こんな生活から足を洗いたいな」 と思うようにならないと、

なかなか抜けられないのです。


「もう足を洗いたいな」 と思いはじめたころに助けがやってきます。

ちょうどよい頃合に、まず、その人と縁のある人が天上界から来ます。


しかし、そこは凶悪な世界なので、そこへ行って救うことは大変なことです。

この世でも、暴力団の組織の中に入り込んで人を助け出すのは大変です。


私服警官でも、そんな所へひとりで行ったら殺されてしまうこともあるので、

行きたくはないでしょう。


そういう世界から救うのは大変なのです。


そこで、まず、本人が改心して、「この世界から出たい」 という気持ちを

持たなければいけないのです。


そういう気持ちを持つようになると、あの世的には少し力が弱くなります。

善人、になってしまうので、暴力の世界においては弱くなるわけです。


「もう、こんなことは嫌だ」 と思っている人は、「他人を徹底的に攻撃したい」

と思っている人よりも弱くなってしまうのです。


そして、「なんだ、あんなに強かったやつが弱くなってきたな」 と思われ、

仲間から見放されて、仲間はずれになる感じが出てこないと、その人を

助けるところまでいかないのです。


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2010年1月24日日曜日

天上界も地獄界にも霊界教育をする学校があります。

あの世の学校には、地獄界の学校と、天上界の学校の両方があります。

この世からあの世に還って間もない人たちに霊界教育をすることは、

とても大事です。


そこには、大きなニーズ(必要性)があります。


地獄界では、「少し浅めの所にいて、間違った考えを持っているけど、

しっかりと教育されれば、何とか天上界へ上がれる」 という程度の

人たちを、あの世の天使予備軍が教育しています。


彼らは、「霊界にもどってきたけれども、生前、霊界の存在を信じていなかった

ために、しばらく地獄に行っている」 という人たちを学校で教えています。


かなり根気よく教えないと分からないため、ひとつひとつ、いろいろなことを

教えています。


そのようにして、まずは天上界に入るところまで教育するのです。


この世において、「信仰を持っていない。宗教を信じていない」 という

人でも、本能的に信じている人はたくさんいます。


新聞などのアンケート調査で、「宗教を信じていますか」 と正面から

訊くと、「信じています。その宗教名も言えます」 と応える人は、

20~30%程度しかいなかったりしますが、それ以外の人は、

本当に信じていないのかといえば、そうではありません。


そういう人でも、お盆には、お墓参りに行って線香を立て、亡くなったおじいさん

、おばあさんに、「孫も元気でやっています」「孫は小学校に上がりました」

などと報告したりしています。


正月になると、明治神宮など、神社仏閣にお参りに行きます。

こういう人たちは、無意識にではありますが、信じているのです。


学校で教わっていないし、宗教で教わってもいないので、知識としては

充分ではないのですが、感情レベルで、「あの世というものがある」 という

ことをうっすらと信じているのです。


彼らは、死んですぐに地獄へ行くわけではありません。

4次元世界の中の、一応、天上界といってよいあたり、幽界の上段界、

精霊界あたりに、いったん行きます。


そこには、やはり学校があり、天使の予備軍が来て授業をします。

あの世の人たちにとっては、1年も2年も授業を受けたような気がするの

ですが、この世的には、それほど時間がたっていなくて、1週間か10日

くらいだったり、1、2カ月くらいだったりします。


彼らとしては、中学校に3年間通ったぐらいの感覚があるのに、

「じつは、まだ49日だった」 というようなことがあるのです。


霊界の学校で教育を受け、あの世の法則が理解できたら、親しい人など、

いろいろな人に連れられて、それぞれの修行場に分かれていきます。


このように、精霊界と地獄界の両方に学校があります。

死んで、しばらくすると、まず、そういう教育機関に入るのが普通です。


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2010年1月21日木曜日

あの世などない、と確信している人は死後どうなるか?

この世に生きていた時に、頑固な唯物論者で、

「あの世など絶対にない。人間には魂など絶対にない。神も仏もない。

宗教は、人をだましているだけだ。この世もの以外は、絶対に信じ

られない」 と確信し、一切の宗教的なものを否定している人、


「死ねば一切が終わりだ。真っ暗で、何もなく、何も感じることはない」

と確信的に思っている人は、死後に、どうなるでしょうか?


そういう人にも魂はあるので、死ぬと魂が肉体から離れてあの世に行く

わけですが、このタイプの人は、あの世の世界を認識することが

できません。


あの世の存在を断固として否定しているため、そこがあの世であると

いうことを理解することが不可能なのです。


そういう人の場合は、あの世で、ロウ細工の人形のようになり、

ほとんど寝たままの状態になっています。


この世でも、ときどき、「1世紀後に、よみがえってみせる」 などと言い、

体を冷凍保存して寝ている人がいますが、それと同じように、マユの中に

入っているような感じで、寝たきりのような無意識状態のまま、何十年も

死んだときの状態をずっと続けているのです。


一定の時間がたち、「あの世など絶対にない。霊界などありえない」 という

信念が、アリが砂山を少しずつ崩していくようなかたちで、ぽろぽろと

こぼれていって、その考えが変わるまで、寝たきりのような無意識状態が

続くのです。


そのように、徹底した唯物論者などは、「無意識界」 というところで、

マユのなかで寝ているような無意識状態のまま、何も活動しないでいます。


死後の生存を信じていない人たちが、大きな洞窟のような所で、数多く、

マユのようになって寝ています。


彼らは活動不能なのです。

「あの世の世界はなく、死によって、すべてが終わった」 と思っている

ので、意識を開くことができません。


そういう心で自分がマユをつくり、動けなくなっているのです。

そして、何十年、あるいは、100年ぐらいたつあいだに、少しずつ

変わってきて、なんとなく目が覚めてくる感じになります。


「おかしいな」 と、自分に疑問を持ちはじめるのです。

やがて、「洞窟から外に出てみようかな」 と思ったり、霊界の人が

たずねてきたりするようになります。


時間はかかりますが、霊界の人が、ゆっくりと手ほどきをして、

彼らに、あの世の経験を積ませていきます。


あの世にも学校があるので、学校で再教育をするのです。

唯物論を信じ、「物しかない」 と思っている部分を打ち壊して

教育しなおさなければいけないわけです。


彼らは、あの世の学校に収容され、再教育されるのです。


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2010年1月19日火曜日

あの世には、この世的な時間・空間がない

魂が肉体を抜け出して、あの世に行っているのは、医学的には、

「レム睡眠」 といわれる状態のときです。


「睡眠には、1時間半くらいの周期があり、その中のレム睡眠のとき、

すなわち、寝ている人の眼球がくるくると動いている状態のときに、

夢を見ている」 と言われていますが、そのときに、よく、あの世へ

行っています。


夢を見ているのは、10分か20分ぐらいなので、魂が肉体から抜けて

行っても、実際は30分もたたずに帰ってきていることが多いのです。


ただ、「あの世の世界には、この世的な意味での時間・空間がありません」


この世の時計では10分しかたっていなくても、あの世で、いろいろな

ことをたくさん経験すると、何日もいたような気持ちになったりします。


いろいろな人と会ったり、いろいろな新しい経験を積んだりすると、

「ずいぶん旅行したな」 と思って帰ってくるのですが、

この世の時間では、それが10ふんぐらいだったりすることがあります。


そのように、あの世の時間は、この世的には計れないのです。


あの世では時間的なものが、よくわからないので、あの世の人と話をする

ときには、この世のもので必ず時間を確認しなければなりません。


向こうでは、仕事や経験の内容によって、時間を長く感じたり短く感じたり

しているので、「かなり長い時間だった」 と思っても、この世の時間では

ほんの2、3日だったりすることもあります。


そのくらい時間の感覚が違うのです。


このようにして、人間は、生きているうちから、ときどき霊界へ行き、

あの世に還る練習をしています。


それで、1日に8時間程度の睡眠をとるのです。

生きているうちに練習をしておかないと、死んだときに、あの世への

移行が難しくなるので、必ず、そういうことをしています。


自覚的なものではありませんが、そのようにして、体から抜ける練習

をしているのです。


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2010年1月18日月曜日

睡眠中に行くあの世の世界

魂は睡眠時に霊界に行っていることが、よくあります。

睡眠時に霊界に来ている人たちの多くは、自覚的ではないため、

夢遊病者のように、目をつぶり、ふあふあと浮いています。


あの世には、こういう人たちがたくさんいます。

そしてときどき、何か印象的なことがあると、目をカッと開いて、

それを見たりしています。


しかし、この世に戻ってきたときには、それが翻訳されて、

少し別なかたちの記憶になっています。


なかには、夜中にいつもあの世に行き、一定のところで

活動している人もいます。


実在界で特別な仕事をしていて、あの世の人と付き合っている人も

いるのです。

しかし、起きているときは、それを忘れていることが多いわけです。


親族などと会っている夢を見て、起きてからも、それを覚えている人

は多いはず。


「お父さんや、お母さん、おじいさんやおばあさん、兄弟など、

すでに亡くなった人と、月に何回も夢で会う」 というように、

特定の人と夢の中で継続して何度も会う場合は、ほんとうに

向こうの世界で会っているのです。


また、この世で何か趣味を持っている人は、あの世でも、同じ趣味を

持っている人のところへ行き、一緒に遊んでいることもあります。


あの世には、そういう趣味に生きている人もいるのです。


たとえば、この世には、将棋の得意な人がいますが、生前、将棋が得意

だった人は、あの世にかえっても、趣味として将棋を続けていることが

ありあす。


この世の人の魂が、睡眠中に肉体を抜け出していって、そういう霊人の

相手をしていることもあるのです。


ところが、朝、目が覚めると、そういうことはケロリと忘れていて、

「将棋の、よい戦法を思いついた。よい手を思いついた」 と感じ、

新しい差し方を、インスピレーションを受けて開発した気持ちに

なるわけです。


そのように、あの世の人と共同で、何かを研究していることもあります。


生きている人間であっても、こういうかたちで、あの世にいっている

ことがあるのです。


睡眠中に行く、あの世の世界のことを、よく 「夢幻境」 と

言っています。


霊界のあまり深いところまでは行けないので、普通は、4次元幽界の

入り口付近に行っています。


心境が悪く、精神的に追い詰められているような場合は、地獄界の

ほうに行くこともありますが、地獄界でも、底辺までは行かず、

わりに浅い所に行って、そのあたりをうろうろしています。


そういう、すぐ戻ってこられるぐらいの所に、しばしば行って

いるのです。


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2010年1月16日土曜日

魂と肉体をつなぐ霊子線(シルバー・コード)

人間の生と死を分かつものは、いったいなんでしょうか?

肉体の中には、肉体とほぼ同じ形をした、魂というものが入っています。


魂は、ぴったりと肉体に入ったままかというと、そうでもなく、

夜の睡眠時間には、ときどき肉体から離れています。


夢の中では、ときどき、この世の出来事ではなく、空を飛ぶ夢、怖いものに

追いかけられる夢など、この世とは違った異質な世界の出来事を

天然色で見ることがあります。


そういう場合、魂は、たいてい霊界に行っているのです。

これを見た人が、古今東西にいて、相互の関連なく、そういうことを

報告しています。


普通は、寝ているときに魂がスッと抜けるのです。


肉体の近くに霊体があるときには、魂の緒は、みなさんが想像するよりも

わりあい太めです。


直径が4,5センチほどのやや太めのロープぐらいであることが多いのです。

中を見ると、太目の毛糸を4,5本あるいは、5,6本ぐらい

よったような形になっています。


魂が肉体の近くにあるときはそのくらいの太さです。


魂は、肉体を離れて遠くまで行き、霊界で活動したり、

地球の成層圏を超えて外へ出たりすることもできます。


そのときに、ずうっと伸びていって、魂が遠くまで行くと、ちょうど

クモの糸のように細くなります。


不思議ですが、切れそうで切れずに、遠い所までスーッと伸びていき、

どこまででも続いていくのです。


魂の緒、シルバー・コードがつながったままで、大勢の人が

睡眠中に肉体を離れて、あの世に行っているわけです。


「霊子線がからまってしまい、自分の肉体にもどれなくなるのでは?」

と思う人もいるかもしれませんが、不思議なことに、霊子線は

もつれないのです。


この世では、糸はもつれるし、釣り糸のテグスも、重なると普通は

もつれます。


あちこち、いろいろな所に行っていたら、ぐるぐる巻きになっても

おかしくはありません。

ヒモにつながれた犬も、そうなります。


ところが、シルバー・コードの場合は、重なってもスッと通り抜けて

しまい、見事ほどけて、スーッと伸びていくのです。


まことに不思議ですが、そういうものが魂と肉体をつないでいます。



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2010年1月11日月曜日

臓器移植をするなら、霊的真相を知った上で。

臓器移植は、臓器の提供者が、執着を持たず、愛の行為として、

「他の人にあげたい」 という純粋な気持ちで行うなら、悪いことでは

ないように思えます。


しかし、実際は、死んでも、自分の死に気づかない人がほとんどで、死後、

スムーズにあの世へ移行することができず、しばらくのあいだは、

何がなんだかわからない混沌状態に置かれることが多いのです。


その段階で、生前は、「自分の臓器を他の人にあげよう」 と言っていた

人が、ほんとうに自分の臓器などに執着を持っていないかというと、

疑問があります。


たいていの場合は、肉体への執着があるので移植先の人のところへ魂も引越し、

その人に取り憑きます。


臓器をもらう側にとっては、「臓器をもらって、体を取られる」 ということ

になるのです。


その結果、「臓器をもらうと、人格が変わり、別人のようになってしまう」

ということが数多く起きています。


これについては、真相を知っておいたほうがよいでしょう。


臓器移植によって、「拒絶反応」 が起きることもありますが、

「人格が変わる」 という例も多いのです。


これは臓器提供者の霊に、完全憑依されることが原因です。

しかし、その霊は簡単には追い出せません。


「この臓器は私のものだ」 と言い張っており、その主張には一定の

正当性があるので、なかなか追い出せないのです。


魂と肉体とは 「霊子線」(シルバー・コード)というもので一対一に

結びついているのですが、臓器を移植された人は、もう1つ、臓器の部分で

他の魂と結びつきができるので、どうしても二重構造の人格になってきます。


臓器を提供してくれた人が、たまたま天使のような、善意の人だったら

よいのですが、霊的に見て悪い人から臓器をもらう場合も多いでしょう。


「やくざの抗争で撃たれて脳死状態になった人の心臓を移植される」 

ということにでもなったら、たまりません。


おそらく、かなりの人格変化を起すでしょう。


そういう意味で、悪い人の臓器はもらいたくないものです。

もらうと、相手の悪い人格がザーッと、入ってきてしまいます。

(中国では、死刑囚の臓器を使うという)


霊は、臓器を提供していなくても、この世の人に憑依するのです。


ましてや、臓器という足場があると、非常に強力です。

「この世で生きたい」 という執着がある霊は、そういう足場があれば

ずーっと居座ります。


これは、その霊の一部が臓器とともに入っているので、そう簡単には

追い払えないぐらいの強さです。


臓器移植は、霊的な真相をよく知っていないと、怖いものなのです。


臓器移植をするのならば、その辺の真相をよく知った上で

行ってください。


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2010年1月6日水曜日

臓器移植関連の問題で。

最近は、臓器移植関連のことが大きな問題になっています。

「臓器を移植すれば、助かる人がいるのだから、事実上、死んでいる人から

臓器をとり、それを移植して、何が悪いのか」 という考え方は、唯物的

に考えれば、よく分かるし、その考え方のなかに、愛の心もあることも

分かります。


ただ、「それは霊的実相がまったくわかっていない考え方である」 と

言わざるをえません。


ところが、「人間が死ぬとは、どういうことか」 ということを知っている

人は数が少なく、知らないひとがほんどなので、多数決の世界では、とても

太刀打ちできません。


死後の世界が分からないために、この世はこの世で、一生懸命にやれるところ

もあります。


誰もが死後の世界を知って、そちらのほうに夢中になりすぎてもいけないので、

死が来るまではわからないようにしている面もあります。


しかし、この世の生だけに、あまりこだわってはいけません。

人間は、この世に生きて、自分がやれることをやり、仏神の心にかなった生き方を

し、最小限、自分の人生としての悟りを得れば、それで充分なのです。


その意味では、「足ることを知る」 ということが大事です。


この世は、「生(しょう)」「老(ろう)」「病(びょう)」「死(し)」

の四苦の苦しみに加えて、


「怨憎会苦(おんぞうえく)」 ・嫌な人と会う苦しみ。

「愛別離苦(あいべつりく)」 ・愛する人と別れる苦しみ。

「求不得苦(ぐふとくく)」  ・求めても得られない苦しみ。

「五陰盛苦(ごおんじょうく)」・肉体煩悩が燃え盛って、思うようにならない
                苦しみ

が、あります。


この苦しみから逃れるためには、霊的な人生観を持ち、実相の世界の視点から

この世を捉え直すことが極めて大事なのです。


釈迦仏教が説いていることを、つぶさに読んでみると、

「この世は苦しみの世界である」 ということも説いていますが、

最終的には、「執着を断て」 ということを繰り返し、いろりろなかたちで

説いています。


これを道徳的にとらえたら、それまでですが、これは、実際に、

この世からあの世へ、異次元へと移っていく際に必要なことなのです。


宇宙ロケットは、成層圏外に出るまでのあいだに、さまざまなものを切り

離して捨てていきますが、それと同じように、高次元の世界に還るため

には、この世的なるものを、できるだけ捨てていかなければなりません。


この世的な執着を捨てなければならないのです。


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2010年1月4日月曜日

この世での生き方が死後に判定される

仏教は、「諸行無常である」「この世は仮の世」 と、繰り返し説いています。


それは、どういう意味かというと、「本来の世界は、あの世の世界であり、この世には、

海外旅行のように、一時期、きているだけなのだ。」

「赤ちゃんとして生まれて、人生修行をし、いろいろな人と出会い、さまざまな経験を

しながら、新しい人生を築き、新しい個性を身につけて、あの世に還る(かえる)、

そういう修行をするために、この世に来ているのだ」 ということです。


この認識を、きちんと持っていただければよいのですが、学校の教科書や参考書には

どれを読んでも、このようなことを書いてあるものはありません。


そのため、「古い時代の人の思想だ」「迷信だ」 と思っている人のほうが

多いのではないかと思います。


しかし、厳しいことに、死後には、「その人の、この世における思い行い、考えたこと、

行動したことが、真理価値に照らして、どうであるか」 ということが的確に判定

されます。


これは仏教だけではなく、エジプトの古代の宗教でも説かれています。


「その人が善人であるか、悪人であるかが、死後に正義の秤(はかり)で量られる」

ということが壁画などに描かれています。


古代のイランの宗教でも同様です。

ゾロアスター教では、「あの世に渡るときには、橋の上を歩いていく。悪人の場合

には、その橋が剣の刃のように細くなり、その人は下に落ちてしまう。善人には、

その橋をそのまま渡ることができる」 と説かれています。


これは、あの世に渡るときの裁きの厳しさを言っているのでしょう。

そのような話は、あちこちに残っています。


ところが、現代の知識人たちには、

「それは昔話や迷信である。人々に悪いことをせず、よいことをするようにさせるため

の道徳的なたとえ話である」 と考えています。


しかし、その考えは間違いであり、そういう話はほんとうのことなのです。


複雑なことが、ほんとうなのではなく、単純なことが、ほんとうなのです。

物事は単純に考えたほうがよいのです。


「単純なことが、ほんとうなのだ」 ということを知っていただきたいと

思います。


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2010年1月2日土曜日

いつ死んでもいいような気持ちで生きる

仏教的な悟りの理想を言えば、

「いつ死んでもいいような気持ちで生きる」 ということが大事です。


釈尊は、「この世は、いつ去ることになるか分からない、無常の世界である。

しかし、この世を去ると、本来の世界に還れるのだから、いつ去ったとしても

悔いのない生き方をしなさい。この世に対する執着を捨てなさい」

ということを、繰り返し説いていました。


生と死についての霊的な実相を見ると、「それが、いかに正確な正しい教え

であったか」 ということが、よく分かります。


「生への執着が死後の世界への移行を妨げる」 ということを、

これほど明確に説いた教えが、はたして仏教以外の宗教にあったでしょうか。


信仰を説いたものは数多くありますが、これほどはっきりと霊的な実相を

知っていた教えが、仏教以外にあったでしょうか。


釈尊の時代から、2500年たった現在でも、現実に、いろいろな人々が生き、

そして死んでいく姿を見てみると、

「まさしくこの世への執着が問題なのだ」 ということがよく分かります。


「この世への執着を絶って、安らぎの世界に入る」 という、

心の修行をしていれば、涅槃の世界に入れます。


しかし、その修行をしていない人の場合は、どうしても、この世に執着するため、

なかなか、あの世への移行がスムーズではないのです。


この世以外の世界の存在を信じることができず、この世以外の世界があったら

困る人がいたならば、「地獄に行くのはあなたです」 ということです。


自分の心を振り返って、「この世以外の世界が、ほんとうにあったら困る」 と、

心底、思うのであれば、「あなたは危ない」 と言っておきたいのです。



「あの世があっても困らない」 と思う人は、だいたい正しく生きているといて

よいでしょう。

しかし、「あの世があったら、困る」 と思う人は、大変です。


激しく厳しい反省をしていただきたいと思います。

死後における、反省の取り組みも非常に苦しいものになる可能性があります。


ただ、死後、すでに霊的世界に入ってから、そういう修行をするよりも、

肉体を持っている、3次元という物質世界において、霊的世界にちての悟りを持つ

ことのほうが、魂的に、はるかに尊いのです。


「この世に生きているあいだに、目に見えないものを信じ、真理を体験して生きる」

ということが、今世の修行の中で得られる珠玉の教訓です。


できれば、この世に生きているあいだに、それを手にしていただければいいかなと

思うのです。


仏教が教えていることは、そういうことなのです。

本当に簡単なことであり、それが多くのお経になったりしているわけです。


仏教学者や僧侶はたくさんいますが、彼らの多くは、どうしても発想の転換が

できず、この基本的なところ、こんな簡単な真理がわかりません。


それが分かるためには、この世を中心とした発想を転換しなければいけないのです。



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2010年1月1日金曜日

死後の旅立ちは、あの世への入学式

人間は、生まれてくるときに、泣きながら生まれてきます。

死ぬときは、誰もが、ほんとうに悲しみます。

動物も、死を悲しんでいるように見えます。


なぜ、死というものが、そんなに悲しいのでしょうか。


何十年か生きているあいだに、「意外に住み心地がいい」 ということで、

この世に対する執着も出てくるし、自分がなじんできた家や家族、友達など、

いろいろなものを懐かしむ気持ち、それと離れたくない気持ちがあるために、

悲しくなるのです。


死後の旅立ちは、ある意味で入学式なのです。


「幼稚園から小学校に上がる」 というような意味での入学式です。

ただ、それよりも、もう少し断絶感があります。


死後の世界については、話としては聞いていても、現実に自分が死ぬ段階にならないと

なかなか、確実なものとしてしんじられないものです。


たとえば、小学校から入学式の通知が来ても、それだけでは入学の実感が

ありません。

「実際に、制服を着て、ランドセルを背負い、桜の木の下を歩き、校門をくぐって

紅白の横断幕がかかっているところを通り、入学式に出て、校長先生のあいさつを

聴き、先輩たちに迎えられる」 という経験をしないと、実感が出てこないのです。


それと同じように、死後の世界についても、話として聞いたり、活字として読んだり

していても、それは入学式の通知が来ているだけのようなもので、

実感がわかないという面はあります。


これは、ある意味で、しかたがないことかもしれません。

「この世で何十年か生きているあいだに、本来の世界の価値観を忘れた」

ということです。


そういうしかたがない面はあるにせよ、できれば、

「死後の世界が実相の世界であって、、この世は仮の世界であるのだ」

という、仏教的な実相感を、たえず念頭に置いたほうがいいのです。


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