2010年1月2日土曜日

いつ死んでもいいような気持ちで生きる

仏教的な悟りの理想を言えば、

「いつ死んでもいいような気持ちで生きる」 ということが大事です。


釈尊は、「この世は、いつ去ることになるか分からない、無常の世界である。

しかし、この世を去ると、本来の世界に還れるのだから、いつ去ったとしても

悔いのない生き方をしなさい。この世に対する執着を捨てなさい」

ということを、繰り返し説いていました。


生と死についての霊的な実相を見ると、「それが、いかに正確な正しい教え

であったか」 ということが、よく分かります。


「生への執着が死後の世界への移行を妨げる」 ということを、

これほど明確に説いた教えが、はたして仏教以外の宗教にあったでしょうか。


信仰を説いたものは数多くありますが、これほどはっきりと霊的な実相を

知っていた教えが、仏教以外にあったでしょうか。


釈尊の時代から、2500年たった現在でも、現実に、いろいろな人々が生き、

そして死んでいく姿を見てみると、

「まさしくこの世への執着が問題なのだ」 ということがよく分かります。


「この世への執着を絶って、安らぎの世界に入る」 という、

心の修行をしていれば、涅槃の世界に入れます。


しかし、その修行をしていない人の場合は、どうしても、この世に執着するため、

なかなか、あの世への移行がスムーズではないのです。


この世以外の世界の存在を信じることができず、この世以外の世界があったら

困る人がいたならば、「地獄に行くのはあなたです」 ということです。


自分の心を振り返って、「この世以外の世界が、ほんとうにあったら困る」 と、

心底、思うのであれば、「あなたは危ない」 と言っておきたいのです。



「あの世があっても困らない」 と思う人は、だいたい正しく生きているといて

よいでしょう。

しかし、「あの世があったら、困る」 と思う人は、大変です。


激しく厳しい反省をしていただきたいと思います。

死後における、反省の取り組みも非常に苦しいものになる可能性があります。


ただ、死後、すでに霊的世界に入ってから、そういう修行をするよりも、

肉体を持っている、3次元という物質世界において、霊的世界にちての悟りを持つ

ことのほうが、魂的に、はるかに尊いのです。


「この世に生きているあいだに、目に見えないものを信じ、真理を体験して生きる」

ということが、今世の修行の中で得られる珠玉の教訓です。


できれば、この世に生きているあいだに、それを手にしていただければいいかなと

思うのです。


仏教が教えていることは、そういうことなのです。

本当に簡単なことであり、それが多くのお経になったりしているわけです。


仏教学者や僧侶はたくさんいますが、彼らの多くは、どうしても発想の転換が

できず、この基本的なところ、こんな簡単な真理がわかりません。


それが分かるためには、この世を中心とした発想を転換しなければいけないのです。



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