人間は、生まれてくるときに、泣きながら生まれてきます。
死ぬときは、誰もが、ほんとうに悲しみます。
動物も、死を悲しんでいるように見えます。
なぜ、死というものが、そんなに悲しいのでしょうか。
何十年か生きているあいだに、「意外に住み心地がいい」 ということで、
この世に対する執着も出てくるし、自分がなじんできた家や家族、友達など、
いろいろなものを懐かしむ気持ち、それと離れたくない気持ちがあるために、
悲しくなるのです。
死後の旅立ちは、ある意味で入学式なのです。
「幼稚園から小学校に上がる」 というような意味での入学式です。
ただ、それよりも、もう少し断絶感があります。
死後の世界については、話としては聞いていても、現実に自分が死ぬ段階にならないと
なかなか、確実なものとしてしんじられないものです。
たとえば、小学校から入学式の通知が来ても、それだけでは入学の実感が
ありません。
「実際に、制服を着て、ランドセルを背負い、桜の木の下を歩き、校門をくぐって
紅白の横断幕がかかっているところを通り、入学式に出て、校長先生のあいさつを
聴き、先輩たちに迎えられる」 という経験をしないと、実感が出てこないのです。
それと同じように、死後の世界についても、話として聞いたり、活字として読んだり
していても、それは入学式の通知が来ているだけのようなもので、
実感がわかないという面はあります。
これは、ある意味で、しかたがないことかもしれません。
「この世で何十年か生きているあいだに、本来の世界の価値観を忘れた」
ということです。
そういうしかたがない面はあるにせよ、できれば、
「死後の世界が実相の世界であって、、この世は仮の世界であるのだ」
という、仏教的な実相感を、たえず念頭に置いたほうがいいのです。
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