2010年1月1日金曜日

死後の旅立ちは、あの世への入学式

人間は、生まれてくるときに、泣きながら生まれてきます。

死ぬときは、誰もが、ほんとうに悲しみます。

動物も、死を悲しんでいるように見えます。


なぜ、死というものが、そんなに悲しいのでしょうか。


何十年か生きているあいだに、「意外に住み心地がいい」 ということで、

この世に対する執着も出てくるし、自分がなじんできた家や家族、友達など、

いろいろなものを懐かしむ気持ち、それと離れたくない気持ちがあるために、

悲しくなるのです。


死後の旅立ちは、ある意味で入学式なのです。


「幼稚園から小学校に上がる」 というような意味での入学式です。

ただ、それよりも、もう少し断絶感があります。


死後の世界については、話としては聞いていても、現実に自分が死ぬ段階にならないと

なかなか、確実なものとしてしんじられないものです。


たとえば、小学校から入学式の通知が来ても、それだけでは入学の実感が

ありません。

「実際に、制服を着て、ランドセルを背負い、桜の木の下を歩き、校門をくぐって

紅白の横断幕がかかっているところを通り、入学式に出て、校長先生のあいさつを

聴き、先輩たちに迎えられる」 という経験をしないと、実感が出てこないのです。


それと同じように、死後の世界についても、話として聞いたり、活字として読んだり

していても、それは入学式の通知が来ているだけのようなもので、

実感がわかないという面はあります。


これは、ある意味で、しかたがないことかもしれません。

「この世で何十年か生きているあいだに、本来の世界の価値観を忘れた」

ということです。


そういうしかたがない面はあるにせよ、できれば、

「死後の世界が実相の世界であって、、この世は仮の世界であるのだ」

という、仏教的な実相感を、たえず念頭に置いたほうがいいのです。


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